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母について書こうと思う☆ライフストーリー・第11話

妹が大怪我をした☆ライフストーリー・第10話の続き。

今日は、母について書きたいと思う。

母は、私より2回り上の同じ子年だった。
24歳で私を産んだ。

母は、三人兄弟の長女で、下に弟が二人いる。
母がまだ子供の頃に、父親が脳梗塞になり左半身が麻痺していた。
それもあってか、中学を出てすぐに働きにでたと聞いている。

お見合いで父と出会い、阿部家に嫁いできた。
父の他にも、農家でお金持ちの人との話もあったみたいだが、結婚は家どうしが関わってくるので、あまりにも釣り合いが取れていないと肩身の狭い思いをするのは嫌だからと、自分と同じような父を選んだのだそう。
まあ、現実的というのか、分相応をわきまえていたのか、私には分からないけどね。(笑)

母は、なんでも自分でやる人だった。
私と妹が小さい時は、母に髪の毛を切ってもらったし、顔も剃ってもらった。
手先が器用だったようで、私たちの洋服も作っていたし、来客用の敷布団までも作っていた。
自分が着る夏用の喪服の着物を、家紋入りの反物の状態からあつらえていた。
冬は編み物をして、セーターやカーディガンを編んでいた。

桃井ばあちゃんと一緒に畑もやっていた。
夫婦共働きだったのに、休みの日は畑に出ていた。
365日、休み無し。
働き者の母だった。

私も妹も体が弱かったのと、自然食ブームもあったのか、母はとにかく体に良いものを基準にしていた。
子供の頃は、コーラ、コーヒー、カップラーメン禁止。子供は味の素も禁止。
ラーメンといえば、ヤクルトから出していたクロレラ・ラーメンにキャベツたっぷり卵入り。
私は中学校まで、ラーメンとは緑色の麺なのだと思っていた。(クロレラ入りだったから緑だったんだよね。苦笑)

小魚はカルシウムが取れると、ミルサーで小魚を粉末にして料理に使っていた。
玉ねぎや、人参をすりおろして自家製の焼き肉のタレも作っていた。でも美味しくなかった。

畑には体にいいと、当時山形では珍しかった野菜を植えていた。
全ては、家族の健康のため。
母は決して料理上手ではなかったけど、一生懸命だった。

まだ3月頃。日本海の海が冷たい中、母は海辺であおさを採っていた。
採ったあおさを塩漬けにして、冬場のお味噌汁の具として食卓に出てきた。

春になると筍を採ってきて、山形名物の孟宗汁が食卓に出たきた。

ゴールデンウィーク過ぎになると、河川敷に行きフキを採っていた。
フキの皮を剥くと、手が紫色になる。(笑)
フキと油揚げの煮物が食卓に並んだ。

秋になると、父と一緒に山に行き、きのこを採ってきた。
きのこも塩漬けにして、冬場のお味噌汁として食卓に出たきた。

母を見ていると、どんな状況でも生きていける力強さを感じていた。
サバイバル能力ともいうべきだろか。
だって、労力はかかっているけど、あおさにしても、筍、フキ、きのこはタダだからね。(笑)
自然の恵みを頂いてるわけ。
それとばあちゃっんと一緒に、畑もやっていたでしょう。お米以外は食べるものに困らないよね。

うちは貧乏、貧乏と言われて育ってきて、私もうちは貧乏だと思っていたけど、今思えば食卓はかなり豊かだった。
とれたての新鮮な野菜や、季節の食材を頂けいてたわけだから。。。
特に採れてたてのトマトとキュウリは本当に美味しかった。

ただね、やり過ぎなところもあったのよ。

喉が痛いと言うと、寝る前に焼いたネキをガーゼに包んで喉に巻かれていた。。。
別にいいんだけどね、
ただ翌朝、キョーレツなネギの臭さで目が覚めると、自分もネギ臭いがするのではないかと気になる。。。

TVで、ニンニクが体にいいと放送すると、母はニンニクを皮ごと焼いていたのかな〜?
ホクホクして、お芋みたいで美味しくて、体もポカポカ温まってきたけど。
次の日、学校なんだよね。。。
せめて、次の日休みの日にして欲しかったよ。。。

若い頃はオシャレだったのに、いつの間にか着る物も気にしなくなっていた。
毎朝、スーパーカブで会社に出勤する母の靴下の色が変とか、これまたからかわれる原因にもなった。

食パンと納豆が賞味期限が切れるからと言って、一緒に食べていて、私は気持ち悪いと思った。
今ならそんなレシピもあるけど、当時は斬新を通り越していたのだ。。。

まあ、堅実というかケチというか。。。

こだわるところもあれば、かなり気にしないと言うか大雑把なところがあったな〜。
A型とは思えないほど個性的なキャラクターだった。

続く。。。

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この記事を書いた人

阿部きょうこ

現在、六本木のクラブでママちゃんやってます。
30才で六本木にあるクラブでママになった時に、マネジメントやコーチングの領域で悩んでいた。10年前から心理学を学び、主にセルフコントロールとコミュニケーションに関心を持つ。

自分の心を開いて相手と関わり相互支援出来る人間関係を目指しながら日々活動中。

幸せになるのをただ待っているのではなく、自ら幸せを創り出し、日々笑顔で過ごす人を増やしていきたい。

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