月日が経つにつれて、どんどん元気になって、活発な子になっていった私。
お飯事や、お人形さん遊びよりも、外で遊ぶのが大好きだった。
私は母と桃井ばあちゃんが、夕飯の支度をするのを見ているのが好きだった。
これは母に感謝なんだけど、幼稚園ぐらいから、私も包丁を持って野菜を切りたいといっても、「気をつけてね」とは言われていたけど、危ないからダメ!と言われたことがない。
母は、いっさい口出しをしない人だった。
包丁を手にして、野菜を切ろうとしたら左の親指をザックリを切ってしまった時も、慌てずに輪ゴムで止血してくれた。
こうやって、私は実践で包丁が危ないことも学んでいったし、実際にお手伝いをする楽しみも感じていた。
なので、食べれないご飯には興味がないというか、「〇〇ごっこ」というのが好きじゃなかったんだと思う。
ある意味、現実的な子供だったのかな?
でもサンタさんの存在は高学年ぐらいまで信じていたしな〜。
現実的な部分と、夢見る夢子さんの部分とのギャップが激しいわ!(笑)
妹が大怪我をしたのは、この頃だった気がする。
相変わらず、男子にからかわれていたけど、近所の男子に混じって外で遊ぶことが増えていった。
(この辺が、子供らしいよね。笑)
この日は、日曜日だったかな?
台所で昼ご飯を食べ終えて、外に遊びに行こうとして急いで出掛けようとしていた時。
妹が「私も行く〜!」と言ったのは聞こえていたが、私は待たずに玄関に行こうとした。
その時、妹は台所でつまずき、運悪く木でできた四角い米櫃の角に顔面を打った。
みるみるうちに顔が血だらけになっていった。。。
母は、町内会の集まりでお寺さんにいたので、父に「お母ちゃん呼んでこい!!」と言われた私は、気が動転しながらも一生懸命走って母を呼びに行った。
母も。驚いた形相で家に戻り、父と一緒に救急病院に行った。
幸いでもないけれど、妹は右の眉の下を切ったので、何針か縫うことになった。
目に当たってなくて、本当に良かったとは言え、女の子なのに顔に傷跡が残ってしまうことに対して、父と母もとても不憫に思ったことだろう。。。
その日の夜。
私は父に責められた。
「お前が、ちゃんと待ってあげないから妹は怪我をしたんだ!!」
「お姉ちゃんなのに、なんで優しくできないいんだ!」
反論しようとした私に追い打ちをかけるように。
「とにかく、お前が悪い!!」
と怒鳴られて、私は納得いかなかった。。。
別に私が手を引っぱって、無理やり米櫃にぶつかるようにしたわけじゃないし。。。
確かに急いで玄関に向かったけど、まさか妹が転ぶなんて思ってなかったし。。。
てゆーか、これって事故じゃないの?
なんで、私ばかり責められなきゃいけないの?
なんで、私ばかりが悪いの?
なんで、こんなに怒られなきゃいけないの?
私は、とにかく悲しくて、悲しくて、悲しくて。。。
でも、一方的に私が悪いと怒鳴る父に対して、腹の底からフ怒りがツフツと気泡になって、湧き上がってくるのを感じていた。
続く。。。
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