男の子に間違えられて深く傷ついた・ライフストーリー・第6話の続き。
今日は、幼稚園くらいの頃を思い出してみた。
相変わらず虚弱な私だった。特に冬は空気も乾燥するので、ダメね〜。。。
すぐに扁桃腺が腫れて、熱にうなされては薬漬けの日々。
処方された水薬がまずいのなんのって。。。
それよりも、お尻に注射を打たれるのも嫌だった。何度打たれても痛いし慣れないものだった。
私だけでなく、妹もまた虚弱だった、
面倒を見ていた母とばあちゃんは、それはそれは大変だっただろうと、今になって改めて思う。
その分、冬以外は元気だった気がする。
普通に近所の公園とか、外で遊んでいたなあ〜♪
幼稚園での記憶で、今でも覚えているのは、みんなで絵の具で絵を描いていた時。
隣の男の子が「この色、どうやって作ったの?」と聞いてきた。
私は「緑と白を混ぜただけ」と答えたら、早速作るなり「これはエメラルドグリーンだ!!」と発見したかのように、驚きと喜びをあらわにしていた。
私は内心「そんなに、たいそうなものなのか」?」と思っていたが、あまりにもその子が喜んでいたので、口には出さなかった。
話は変わるが、家では父は絶対的な存在だった。
誰もが、父に気を遣っていた。
短気な父は、虫の居処が悪いと、すぐに怒りを母と桃井ばあちゃんに当たり散らしていた。
特に晩酌が進み、お酒の量が増えると、だんだん声を荒げていた。。。
ある日の夜、お風呂から上がり、着替えるのにもたついて、喘息寮の吸入器の前に行くのが遅くなった時、「さっさとしろ!!」と、いきなり父の怒鳴り声が聞こえてきた。
今思えば、準備をして待っていた母に対する配慮だったのかも知れないけれども、子供だった私は全く意味もわからずに、ビクッと身体の反応とともに、うんざりした気持ちと苛立ちが入り混じっていた。
小学校に入学する前の年明けぐらいかな〜?
しょっちゅう扁桃腺が腫れていたので、私は扁桃腺を取る手術をすることになった。
手術したところで、どれだけ健康な体になれるかは、やってみないと分からない状況だったみたいだが、母は、この手術に賭けてみたんだと思う。
私は、ベットに仰向けなったまま手術室に入った。
「これを吸ってね〜。」と看護士さんに言われて、口元の呼吸器から、ミントの味がした。
子供の頃、ミント味が大嫌いだったので『不味い!!」と思ったが、程なくして私は眠りについた。
子供だったので、全身麻酔で手術が行われた。
ドクン・ドクン・ドクン・ドクン
「自分の心臓の音が聞こえる?」と看護師さんの声で目が覚めてた。
「これが私の心臓の音なんだ〜」と、ぼんやりと聞いていた。。。その瞬間、激痛が走った!!!
先ずは、左手の甲に刺さっている点滴が、めちゃくちゃ痛い!!!
そして、喉が焼けるように痛い!!!
その晩は、唾さえも飲み込めず、洗面器に唾を吐き出していた。。。
3日間ぐらいは、ご飯もおもゆと点滴だけで、それからおかゆになって、普通のご飯が食べられるようになった。
入院していたのは1週間ぐらいかな?
扁桃腺の手術も無事に終えて、新品のランドセルを背負いながら、小学校の入学を楽しみにしていた♪
続く。。。
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