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法事で山形に帰ってました☆子供の頃の記憶との擦り合わせ

この3連休、私の母の母親の1周忌と父親の13回忌の法事があり、山形に帰ってました
母の実家なのです

母は結婚して阿部家に嫁いだので、私達は外孫
一緒には住んでない、ジジちゃんとババちゃんです

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子供の頃は、お盆休みや、お正月は、母の実家で、従兄妹と一緒に遊んでました
今では、皆んな立派な大人です(笑)
母方の従兄妹の中では、私が一番年上(笑)
いつも、お姉ちゃんだからって言われてたな〜…

父は、跡取りの男の子が欲しかったのです
でも残念ながら、長女の私は女性
次女の妹も女性

私は未熟児で生まれ、小学校の入学前に扁桃腺の手術をするまでは、いつも高熱が出て寝込んでたし、妹は生まれて直ぐに血液が合わずに、父が輸血して血を入れ替えた
次に生まれてくる子はどれだけ弱い子になるか分からないと医者に言われたので3人目を諦めたと、物心ついた頃に母に言われた事がある

それでなのか、私は小さい頃、ショートカットで青系の洋服を着させられてた

幼稚園ぐらいの時に、母と妹と3人でバスに乗ってた時に、見知らぬ叔母さんにアメをもらい「可愛い男の子ね〜!」と言われたのがショックで、その日以来、母に、「もう青色の洋服は着ない!ピンクにして!」と泣きながら叫んでたのは、今でも覚えている(笑)

阿部家は本家で、私は本家の長女に生まれたので、小さい頃こから、「家を継ぐのは、お前だ」と、父と、母と、父の母である、一緒に住んでるお婆ちゃん、ひいお婆ちゃん(要は家族全員である)に言われ続けて、嫌になった

父親世代の田舎の人ほど、気にする

ご先祖様を大切にする気持ちは分かるし、確かに大事だけれども、それよりも私は私の人生の方が大事だと思ってた

親からしてみれば、全くいう事の聞かない、生意気な子供である(笑)

18歳で上京し、20歳の時に夜の蝶になったが(笑)
「お前をホステスにする為に東京に出したんじゃない!」と猛反対された
父親として、全うな意見である
(この辺の話は、また別の機会にブログに書くとして…)

法事で、「きょうこちゃんだ〜!」話かけて頂いた、お婆ちゃん
私は、全く覚えていないが、そのお婆ちゃんは覚えてくれていた(笑)
1周忌のお婆ちゃんの、妹さんだそう

なおらいの時も、隣のお席で、私の父の話になった
1周忌のお婆ちゃんが、亡くなったのは去年の8月
その時に、父と久しぶりに会って色々と話たそう
話題は、もっぱら私の事
「六本木でママさんしてるって、器量ある子だからって自慢してたよ〜!」

その1ヶ月後に父は他界した
直接父からは、言われてないが、この話は、何人もの人から聞いている

あんなに猛反対だったのに…

改めて,私の人生を認めてくれた父に感謝である☆

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この記事を書いた人

きょうこ

きょうこ

阿部きょうこ

現在、六本木のクラブでママちゃんやってます
(源氏名:村上純)

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